学術研究助成紀要 第2号

DNP文化振興財団では、グラフィックデザイン、グラフィックアート文化の発展と学術研究の振興を目的として、幅広い学問領域からグラフィックデザイン、グラフィックアートに関する研究助成を実施しています。
本書は2019年3月までの採択研究の成果を編纂したものです。

要旨

注:著者の所属と職位は、紀要刊行時点のものです。

  • 板木から見た職人技の解明

    安藤真理子同志社大学文化遺産情報科学研究センター 嘱託研究員

    東アジア共通の木版印刷が日本文化に与えた影響は計り知れず、特に日本独自の進化を遂げて浮世絵に代表される多色摺りは海外においても日本文化を代表するものとして認識されている。その木版印刷技術の根底にあるのが板木である。しかし、現在に至るまで、刷り上がった紙の印刷物だけが研究対象となり、木版印刷技術が集積した板木そのものを研究対象とした研究や「彫り・摺り」といった職人の技に対しての科学的調査は僅少であった。本調査研究では、3次元測定(X線CTスキャナや3Dデジタイザ)と蛍光X線分析、画像解析などを用いて板木に残された職人技の科学的解明に試みる。2次元の画像や印刷物には表れない職人の精巧な技や知識、摺られる時系列な情報は、板木が立体的物である以上、それらの情報をより明確に収集・解明するには3次元計測が有効である。奈良大学図書館所蔵、奈良大学博物館所蔵の板木・版本を研究対象として、先述した科学的な調査方法により、現在まで図式化に留まっていた薬研彫りの形状の提示・職人の作業時の位置推定・彫りの工夫・板木の制作手順と3Dプリンタでの考察・継ぎの技術確認と板木の制作過程の推定・顔料同定・多色刷りの主版と色版の一致性に言及した。

  • 丸紅商店染織美術研究会に関する研究

    岡 達也京都美術工芸大学 講師

    本稿は近代京都の図案教育研究の一環であり、図案に関する専門教育を受けた人物がその後、産業界においてどのような位置を担っていたか、その一端を明らかにすることを目的としている。事例とするのは、水木兵太郎(?–1939)と水木が勤務していた丸紅商店京都市店内に創立された染織美術研究会および図案研究会のあかね会である。
    染織美術研究会については、水木が同支店の意匠部長として関わった昭和5(1930)年から昭和14(1939)年までの染織美術展覧会について、趣意と出品作品の変遷について分析し、該当期間の傾向について検討した。その結果、同会が流行を加味しながらも量産を前提とせず、高度な技術と美的価値を兼ね揃えた染織品の創出を命題とした機関であるとして位置付けた。
    あかね会については、同会で制作された《あかね会原画》のうち533点の分析を試みた。一企業内の研究組織として活動していたあかね会は、日本画、洋画、彫刻など多様なジャンルの作家が自由に図案を提供しており、一般的な図案家団体とは異なるあり方であった。染織美術研究会が高度な技術によってきものを染織美術品へと昇華させることを目的としていたのに対して、あかね会では、アイデアの集積や新たな図案の試作を行っていた。

  • 隠す精神と技
    メネトリエ『謎めいた像の哲学』考

    川野惠子日本学術振興会 海外特別研究員

    イエズス会修道士であるメネトリエ(Claude-François Ménestrier, 1631–1705)は、17世紀フランスにおいて、紋章や舞踊など像による表現について幅広く論じ、それらを「像の哲学」と総称した。模倣をパラダイムとする古典主義的な像理論において、模像は原像に限りなく一致するべきであり、模像は原像にたいして存在論的に不完全であるというヒエラルキーを免れない。一方でメネトリエは、像は神を隠匿するという神学的な像概念の伝統を下敷きとする1694年の『謎めいた像の哲学(La Philosophie des images énigmatiques)』の中で、原像と模像の類似性というより差異を強調する特異な像理論を提示する。
    メネトリエは、神を隠匿するという像概念の中に、「表されるもの/神」と「表すもの/像」の間に類似というよりは差異を作り出すことで、像に神秘性を与えようとする制作者の巧妙な「精神」と「技」に着目する。その上で、表されるものを闇昧に隠す「精神」と「技」を像の成立要因として定義した。その結果、神と像の間に絶対的ヒエラルキーを構築する神学的像概念は組み替えられ、像の価値は、原像ではなく、像を制作する者の精神と技術に位置付けられた。以上の制作者に焦点をあてるメネトリエの像理論は、近代的な像概念の一つの起源を示している。

  • グラフィックデザイン史における粟津潔の役割
    金沢21世紀美術館所蔵作品・資料をもとに建築・写真との関わりから再考する

    高橋律子金沢21世紀美術館 学芸員

    本研究は、グラフィックデザイン史における粟津潔の役割を、あえて「建築」と「写真」からの考察を試みたものである。粟津が活躍した1950年代から1970年代は東京オリンピックや万国博覧会など国家的なプロジェクトが次々と展開される中、デザイナーの果たす役割も拡大していった時代である。中でも粟津は、生涯にわたって「デザインとは何か」について問い続け、積極的に言葉にし、行動し続けた。粟津は、グラフィックデザインを起点に、絵画や彫刻、版画、写真、映像はもとより、建築や映画セット、パフォーマンスなど、幅広い活動を行っている。作品や資料同士が重層的に連続してつながっていくような粟津の総合性を、あえて、今日的な 「デザイン」の枠からはみだす「建築」や「写真」というカテゴリーから分析し、そこから粟津デ ザインの普遍性を見いだすことができるのではないかという仮説を立て、極めて美術館的な分析的調査を行った。なお、「建築」については鷲田めるろが、「写真」については高橋律子が調査を分担した。本稿では、高橋律子が全体をとりまとめた。

  • 古代ギリシアの陶器画におけるアスリート図像
    前5世紀のメディアとしての陶器画試論

    田中咲子新潟大学 教育学部 准教授

    スポーツが盛んであった古代ギリシアにおいて、絵付け陶器の中でも、アスリート図像は人気の高い主題の一つであった。陶器の顧客とスポーツをたしなむグループが一致していたためでもある。陶器画、とりわけアテナイ周辺で生産された絵付け陶器におけるアスリートやスポーツ場面の表現は、紀元前6世紀前半に始まり、その生産が終焉を迎える前4世紀まで続いた。その間、図像はさまざまな流行を見せた。しかしながら従来の研究では、その変遷を跡づけることすらほとんど行われてこなかった。そもそもこれらの図像は、当時の習慣や心性を知るための資料としての位置づけに甘んじてきた。その要因の一つは、陶画家が職人身分であったからであろう。しかし筆者は、図像の成立や流行に、当時の世間すなわち顧客に対する画工からの意思伝達や情報発信としての機能を見いだすことを最終的な目標に据え、本稿では紀元前5世紀の陶器画におけるアスリート図像の流行と変遷過程を明らかにする。この時期のアスリート図像のいくつかのタイプは、時代の心性を反映しつつ、それを的確、且つ具体的に視覚化したことによって、顧客に受け入れられ、大流行した。陶器画が時代の趣味形成に一役買ったといえよう。

  • 近代日本のポスター史に関する総合研究
    —翻案・創造・展開

    田島奈都子青梅市立美術館 学芸員

    本稿は日本におけるポスターが開国以降、昭和戦前期までの間に、どのような発展・展開したかについて、それにまつわる歴史的・文化的・技術的事象を含めて考察・検証したものである。研究の端緒と調査の方法、およびその対象などについて述べた第1章に続いて、第2章においては、明治期のポスターを取り上げた。続く第3章においては大正、第4章においては昭和戦前期のポスターを取り上げ、各時代の作品に見られる特徴などについて考察し、最後の第5章において、これまでに得た内容をまとめると共に、今後の研究計画について触れた。
    結論から述べると、日本におけるポスターは開国以降、昭和戦前期までの間を取り上げてみても、技術的にもデザイン的にも、国内外のさまざまな影響を受けながら、多様な変化を遂げた実態が立証できた。特に、明治期の作品に見られる、江戸時代にさかのぼる、日本の伝統的な印刷文化が、ポスター製作に息づいている事実や、大正期の日本企業とそのポスターの製作を請け負う製版印刷会社自身の海外進出によって、その後の現地のポスター製作に、少なからず影響を与えたこと、および戦時期には日本国内においても、戦時体制の維持強化を図る目的で、各種プロパガンダ・ポスターが盛んに製作され、メディアの中心に位置していたことなどは、これまではあまり言及されてこなかっただけに、本稿固有の研究成果といえる。

  • 発達性ディスレクシアに特化した読みやすい和文書体の研究

    朱 心茹東京大学大学院 大学院生(博士課程)

    本研究は書体が持つ「読みやすさ」に関する機能に着目し、発達性ディスレクシアという読み書き困難を持つ読者への新しい支援方法として発達性ディスレクシアに特化した和文書体および和文書体カスタマイズシステムを作成・開発するものである。
    本研究ではまず、既存の発達性ディスレクシアに特化した欧文書体の特徴を量的・質的に抽出し、それらを和文書体にマッピングすることで発達性ディスレクシアに特化した和文書体の要件を定義した。次に、プログラミング的な手法を応用し、定義した和文書体の要件をオープンソースの書体に半自動的に適用することで初の発達性ディスレクシアに特化した和文書体であるLiSFontを作成した。発達性ディスレクシアを持つ読者と持たない読者に対して和文書体の評価研究を行った結果、次のことが明らかになった。(i)書体の種類は読みやすさの客観的指標と主観的指標の両方に影響を与える、(ii)書体の違いによる影響は主観的指標においてより検出されやすい、(iii)発達性ディスレクシアを持つ読者にとってはLiSFontが主観的により読みやすい、(iv)発達性ディスレクシアを持たない読者にとっては一般書体が主観的により読みやすい、(v)ディスレクシアの症状の違いが書体の読みやすさに関する主観的評価に影響を与えている可能性がある。
    これらの結果から個々の症状に対応できるような書体カスタマイズシステムの有用性が示唆された。今後の研究ではそのようなシステムの開発を行う。

  • グラフィック・メディスン研究
    「情報」と「情動」を繋ぐ視覚表現メディア文化

    中垣恒太郎専修大学文学部 教授

    「医療マンガ」は高度に専門化する医療を反映し、細分化し詳述する傾向が進んでおり、「医療崩壊」をはじめとする社会構造的問題、死生観・倫理的な問題を浮き彫りにさせる社会的機能も果たしている。医療従事者と患者およびその家族をめぐるコミュニケーションのギャップを埋める効果も期待されており、医療現場においても「物語」はさまざまな形で導入されている。英語圏のグラフィック・メディスンの研究動向を比較参照しながら、日本のマンガ研究、比較メディア研究への応用可能性(あるいはその困難・課題も含めて)における医療マンガのジャンル研究について展望する。海外におけるコミックスおよび医療を取り巻く文化的土壌の違い、あるいは、日本のマンガ文化の豊穣さなどを参照しながら、日本の医療マンガをジャンルとして規定することにより、海外マンガとの比較文化研究、医療マンガを題材にした学際的研究の可能性、さらに日本のマンガ研究の発展にこの研究領域をどのようにつなげることができるのかを探るための序説とする。グラフィック・ドキュメンタリー、闘病エッセイマンガなどのサブジャンルをも交えながら、医療をめぐる領域がマンガという視覚表現文化によってどのように描かれているのかを分析することによってマンガというメディアの特質も浮かび上がってくる。

  • クーパー・ヒューイット・スミソニアン・デザイン・ミュージアムとクーパー・ユニオン ハーブ・ルバリン・タイポグラフィ・スタディセンター所蔵の日本のポスターコレクションについて

    野見山 桜東京国立近代美術館 客員研究員

    日本人デザイナーによるポスターは、国外の美術館で数多く収蔵されているが、その全容や所蔵の経緯に関する調査はこれまで積極的に行われていなかった。そのため、海外における日本のグラフィックデザインの受容について、学術的な検証がなされてこなかった。また、国内外の美術館・教育機関間で調査研究を通じた交流が活発に行われていない現状がある。そこで本助成を通じて、アメリカ、ニューヨークにあるクーパー・ヒューイット・スミソニアン・デザイン・ミュージアムと、クーパー・ユニオン大学付属のハーブ・ルバリン・スタディセンター・オブ・デザイン・アンド・タイポグラフィに所蔵されている日本のポスターを対象に、次に挙げる三つの目標を掲げ事例研究を行った。一つ目が、対象機関において、どのように日本のデザインとそれに関連した資料が収集されているのか理解を深めること。二つ目が、コレクション作品調査協力である。三つ目が、今後のコレクション活用についての可能性提案、新規所蔵作品の提案である。
    なお、本稿で主に報告するのは、上記に挙げている三つのうち最初の二つの項目になる。三つ目にあたる今後の活動に向けての提案については、本調査・研究の結びとしてまとめた。

  • 韓国の「鬼神」イメージ研究
    日本の歌舞伎における幽霊表現の影響を中心に

    朴 美暻京都大学非常勤講師、立命館大学客員研究員

    現代の韓国人がイメージする「鬼神」(クィシン)の典型的な姿(視覚イメージ)は、女性、白い服、乱れた長い髪など、日本における典型的な女性幽霊の視覚イメージと同じ特徴を有している。実際、日本の幽霊イメージが韓国の鬼神イメージの形成に大きな影響を与えたことは先行研究において既に指摘されており、例えば、植民地時代に大衆雑誌や新聞などに描かれた幽霊や、戦後のホラー映画の幽霊の影響などが挙げられている。
    こうした認識を前提としつつ、本研究では時代をさらにさかのぼり、これまで注目されてこなかった日本の歌舞伎における幽霊表現に注目し、それが日本の幽霊イメージに影響を与え、そして韓国の鬼神イメージにも影響を与えていったことを明らかにしたい。
    具体的には、まず、江戸時代の人々の幽霊イメージや歌舞伎における幽霊表現について、浮世絵などのさまざまな資料に基づいて検討する。続いて、そうした幽霊表現がさまざまな経路から植民地時代の朝鮮そして戦後の韓国の人々に伝わっていたことを、当時の新聞記事などの資料に基づいて検討する。そして最後に、1967年公開の韓国映画『月下の共同墓地』に登場する鬼神の特徴について検討し、日本における幽霊イメージからの大きな影響が認められることを明らかにする。

  • 明治期のインド市場向け商標デザインの生成に関する一考察

    福内千絵関西学院大学先端社会研究所 専任研究員

    明治期の殖産興業・貿易振興政策の進展により、英領インドへ向けても、絹糸や綿織物、マッチなどの軽工業製品が輸出された。輸出品に付される登録商標は特許局の『商標公報』で公開されている。特に商標デザインには、現地での売れ行きを左右するため注意が払われた。本稿では、『商標公報』所載の商標を対象に、日本の政府機関によるインド市場の調査活動に言及しながら、インド市場向け商標デザインの生成について考察した。
    明治期のインド市場向け商標デザインは、宗教関連のモチーフが顕著であること、また現地インドの流行の宗教図像を模倣や流用をするかたちでインド現地の文化的状況と結びつきながら生成されたことを明らかにした。また、こうした商標デザイン生成の背景には、これまで指摘されていたインド商人のディレクションに加えて、インド市場調査による奨励図案の提示という日本政府の関与があったことを指摘した。結論として、明治期のインド市場向け商標デザインには、インドに受け入れられる商標デザインを探求した明治国家の熱意も反映されていること述べた。

  • 建築展におけるグラフィック・デザインの役割について
    ヴェネチア、ミュンヘン、モントリオールの展覧会の調査をもとに

    保坂健二朗東京国立近代美術館 主任研究員

    建築展の研究はここ数年で、シンポジウムの開催や学術書の発行によって格段と進んだ。しかしながら2010年以降の事例はほとんど扱われておらず、建築展で扱われる多様な資料をどのように展示しているかについての考察も不十分である。そこで今回助成を受けた研究では、2014年以降の主要な建築ビエンナーレおよび主要な建築専門ミュージアムの展覧会を実地調査し、そこで資料がどのような意図において展示されているかを、グラフィック・デザインの観点から批評的に分析した。本稿ではそのうち、2016年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展のドイツ館の「Making Heimat」展(デザイナーは Something Fantastic)、2018年のArchitekturmuseum der Technische Universität Münchenでの「Does Permanence Matter? Ephemeral Urbanism」展(同、m-a-u-s-e-r)、2018-19年のCanadian Centre for Architecture(モントリオール)の「Architecture Itself and Other Post modernist Myths」展(同、Chad Kloepfer)を取り上げた。それらの事例から、①グラフィック・デザインのコンセプトを補完するために展示デザインがなされるケースもあること(ドイツ館)、②二次元の資料に占領されがちなリサーチ・ベースの建築展では、来場者の身体性、体験の三次元性を確保すべく、三次元の事物の挿入や展示空間の操作が行われることがあること(ミュンヘン)、③展示資料によって構成されるインスタレーションを十全なものとすべく、テキストにあえて三次元性が付与される判断があり得ること(モントリオール)といった、建築展ならではのデザインの試みを指摘した。

  • ユーゴスラヴィアの版画文化
    反ファシズム版画から戦後の現代版画へ

    山崎佳夏子ベオグラード大学 哲学部 美術史学科 博士過程

    本論文は、第二次世界大戦中にユーゴスラヴィアで展開されたパルチザン運動(人民解放戦争)に参加した芸術家たちによる版画文化が、戦後の社会主義国のユーゴスラヴィアでいかなる発展を遂げたのか、その歴史的変遷を考察している。その歴史は、戦間期(1920–30年代)のベオグラード、ザグレブ、リュブリャナで見られた社会美術運動に始まった。戦間期に社会美術運動に参加した芸術家の多くは、戦争が始まるとアジプロ局や非合法印刷所に勤め、パルチザン運動に参加する。戦中はアジプロのポスター以外にも版画集などの美術作品が制作され、侵略への抵抗運動は芸術家の自由な活動の保護の意味もあった。そして戦後、パルチザンの版画文化は、博物館や非合法印刷所博物館が開館されることで、ユーゴスラヴィアの共通の記憶となった。また、美術メディアとしての版画は、社会主義レアリズムの縛りがなくなる1950年以後ユーゴスラヴィアの新しい美術を写す役割を与えられる。西側にも東側にも属さなかったユーゴスラヴィアは、版画を介して西側の文化に接近し、非同盟運動の中心国として美術による国際交流をはかった。

  • 絵とともに語ることばの未来 多言語表記民話絵本のブックデザイン

    山本 史京都市立芸術大学大学院美術研究科 ビジュアルデザイン専攻 博士(後期)課程

    日本の各地域にはその土地の言語で口伝えされてきた民話が数多くあり、それらは地域の言語と文化を伝える媒体として機能している。本研究では地域言語の衰退と共に失われつつある口承民話に、視覚的要素を加えて多言語表記の民話絵本としてデザインしアーカイブ化することで、アクションリサーチを通した地域言語と文化の継承方法を提案する。
    絵本の制作にあたって、筆者はデザイナー・イラストレーターとして、フィールドワークを通して民話のバリエーションや背景を調査し、その地域の文化・風習・歴史に沿ったビジュアルデザイン表現を目指した。調査では、地域言語研究者と危機言語話者がデザイナー・イラストレーターと協働することでコンテンツそのものの質を高め、視覚的な分かりやすさ、可読性の高さ、ユーザビリティなどを加えて活動に広がりを持たせている。
    多言語表記絵本は、言語の専門家や文化保存活動家ではない一般の人、特に次世代の話者となる子どもたちにも興味を持ちやすく、地域、言語を問わず展開しやすいメディアである。忘れられつつある土地の言語と口承民話を絵本の形にして残し、その土地個有の言語、文化、風習まで学ぶことのできる教材として使用してもらうことで、その伝統を次世代の子どもたちへと伝えていく橋渡し役とすることが、本研究の目的である。

  • 「田中一光の造形的特質・切り絵の造形:田中一光アーカイブ資料から(2)」

    深谷 聡奈良県立美術館 主任学芸員

    本研究は、筆者が2015年から研究を続けている公益財団法人DNP文化振興財団所蔵の「田中一光アーカイブ」資料による田中一光の造形感覚についての考察である。本稿では「切り絵」という田中一光の特徴的な造形手法から、その特質の一端を明らかにすべく資料の調査と分析を行った結果について述べる。今回の調査では前回に引き続き、切り絵の素材である紙片を中心に調査を行った。今回の調査では前回の結果を踏まえ、調査対象をより資料と完成作品の間に直接的な関係がみられるものに絞るとともに、素材となる「切り紙」が大量にまとめられている資料などを対象とし、調査手法としては各紙片のサイズ、版下原稿の画面上の位置についても可能な限り計測を行うことで、部品としての紙片と、画面構成のプロセスについても考察する機会となった。
    今回の調査により、各紙片、そして版下での位置がいずれも5mmのグリッドを基準とした厳密なサイズと位置で設定されている資料や試作類が数多く確認できた。まさしくモダンデザインの幾何学的手法と、フリーハンドの曲線による自由闊達な造形が組み合わさって生まれる、田中一光独自の画面構成の過程を知る可能性の一端を捉える結果となった。